2024年12月、韓国のユン・ソンニョル大統領が発令した「非常戒厳」が韓国内外に大きな衝撃を与えました。
軍が国会に突入し、国会活動が一時的に停止するという、民主化以降の韓国では前例のない事態。
なぜ今、戒厳令が発令されたのか?本当に正当な判断だったのか?
この記事では、制度の歴史と発令の背景、国民や国際社会の反応を踏まえ、韓国民主主義の危機を読み解きます。
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戒厳令とは?韓国における制度の仕組み
戒厳令とは、国家の安全が極端に脅かされた際に、通常の法秩序を一時停止し、軍が治安維持を主導する制度です。
韓国では以下の2種類があります。
・警備戒厳:軍が警察の補助的役割を果たす
・非常戒厳:軍が実質的に治安と行政の主導権を握る、より強力な措置
2024年にユン大統領が発令したのは非常戒厳。国会の活動制限や軍の出動が含まれた、文民統制の原則を揺るがす極めて例外的な対応です。
韓国の過去の戒厳令と光州事件
韓国で非常戒厳が使われた最後の例は、1980年の光州事件です。
当時の軍事政権は、民主化を求める市民運動を武力で鎮圧し、200人以上の市民が犠牲になりました。
この事件以降、戒厳令の発令は強い社会的拒絶感を伴うようになり、文民政府では一度も使われてきませんでした。
その戒厳令が、2024年に再び発令された。多くの韓国人にとって、それは「歴史の逆行」と映ったのです。
なぜ2024年に非常戒厳が発令されたのか?
発令の直接的な理由は、国会での予算案審議が野党によって妨害され、行政機能が停止状態になっていたことです。
ユン大統領は「憲政秩序を守る」として軍に出動を命じ、非常戒厳を発表しました。
しかしこれは、戦争・内乱・テロなどの緊急事態を前提とした憲法上の戒厳令発令要件に当てはまらないとされ、法律家や市民団体からは「違憲」「権力の乱用」と強く批判されました。
国会と国民の反応、そして早期解除
非常戒厳の発令直後、国会は与野党問わず「戒厳の即時解除」を求める決議案を可決しました。
また、最大野党「共に民主党」は大統領弾劾案を提出。市民のあいだでも抗議の声が高まりました。
注目すべきは、与党内からも解除支持の声が上がったことです。与党代表も解除決議に賛成し、発令からわずか数時間後、ユン大統領は戒厳を撤回しました。
非常戒厳という極端な手段が、国民の反発と議会の制御によって即座に無効化されたのです。
戒厳令のリスクと国際的影響
戒厳令の最大のリスクは、民主主義と市民の自由を脅かすことです。
軍が行政と立法の役割を肩代わりすれば、国会の機能は停止し、報道や表現の自由も制限されます。
さらに今回の件は、韓国が国際的に「政治的に不安定な国家」と見なされるリスクも生みました。
投資家の警戒、外国メディアの報道、そして外交的信用の低下。民主主義国家としての評価が問われた瞬間です。
親子トークタイム!子どもにどう伝える?
子どもに「戒厳令って何?」と聞かれたら、こう話してみましょう。
「学校でクラスの話し合いがうまくいかなくて、ある子が“もう僕が全部決める!”って言って体育の先生を呼んで、みんなを止めさせたんだ。でもそれを見た他の子たちが“それはルール違反だよ”って言って、やめさせたんだよ。」
軍を呼ぶ=力で抑えることの危うさ、話し合いで決める大切さを伝えるきっかけにしましょう。
まとめ
・ユン大統領が2024年12月に非常戒厳を発令。光州事件以来44年ぶり
・野党による国会妨害が理由とされたが、法的根拠は不十分と批判
・国会と市民、与党からも反発を受け、わずか1日で解除
・戒厳令は市民の自由を脅かすリスクを持ち、国際的評価にも影響
・今後は文民統制と制度の再設計が重要な課題となる