私たちが病気にかからないように体を守ってくれる「ワクチン」。その歴史は意外と古く、今では最先端の技術まで発展しています。この記事では、ワクチンの始まりから現代にいたるまでの進化をたどり、さらに日本における導入の流れも紹介します。親子で学びながら、ワクチンの意味を深く理解するきっかけにしてください。
世界初のワクチンとジェンナーの功績
ワクチンの歴史は18世紀後半、イギリスの医師エドワード・ジェンナーによって始まりました。当時、天然痘という致死率の高い感染症が広く流行しており、多くの命が失われていました。
ジェンナーは、牛痘にかかった人が天然痘にかかりにくいという農民たちの観察に注目し、1796年に8歳の少年に牛痘を接種する実験を行いました。その少年は天然痘にかからなかったことから、ジェンナーはこの方法を「種痘」として提唱しました。
この種痘法が世界初のワクチンとされ、「ワクチン(vaccine)」という言葉も、ラテン語で「牛」を意味する“vacca”から取られています。ジェンナーの発見は、その後の感染症対策の基本を築く大きな一歩となりました。
感染症との闘いとワクチンの進化
19世紀から20世紀にかけて、ワクチンは大きく進化します。フランスのルイ・パスツールが狂犬病ワクチンを開発し、さらに破傷風、ジフテリア、百日咳などのワクチンも次々に登場しました。
これらはすべて、細菌やウイルスが原因で起こる感染症に対し、重症化や感染拡大を防ぐために使われてきました。
この時期のワクチンは、病原体そのものを弱めたり、毒性を除いた成分を使って作られていましたが、2000年代に入り、より安全かつ効果的な方法が求められるようになります。
mRNAワクチンという新しい技術
2020年、新型コロナウイルスの世界的流行により、一気に注目されたのが「mRNAワクチン」です。
従来のワクチンとは異なり、ウイルスの一部(スパイクタンパク質)をコードする遺伝情報(mRNA)を体内に送り、細胞自身にその一部を作らせて免疫を獲得する仕組みです。
mRNAワクチンは短期間で大量生産が可能であり、変異株にも迅速に対応できる可能性を持つ次世代のワクチン技術とされています。現在は、新型コロナ以外の感染症やがんワクチンへの応用も研究が進んでいます。
日本におけるワクチンの導入と制度の整備
日本では、種痘は1849年にオランダ経由で長崎に伝わったとされ、1858年には幕府が種痘接種を奨励するようになります。
明治時代に入ると、1876年には種痘が義務化され、全国で広く接種されるようになりました。
戦後には「予防接種法」が制定され、1950年代から1970年代にかけて多くの定期接種が導入されました。三種混合(ジフテリア、百日咳、破傷風)やポリオ、BCGなどがこれにあたります。
現在では、厚生労働省が「定期接種」として位置づけるワクチンの種類とスケジュールが定められており、各自治体が無料または一部負担で接種を行っています。
新型コロナウイルスのワクチン接種では、国を挙げて無料接種が進められ、ワクチンの社会的な重要性が再認識されました。
ワクチンの意義を未来へつなぐ
ワクチンは単なる医療技術ではなく、人類が感染症と闘いながら積み上げてきた知恵と工夫の結晶です。科学の進歩とともに進化を続け、私たちの健康と命を守ってきました。
親子でその歴史と意味を学ぶことは、これからの医療や社会のあり方を考えるうえでも大切な経験となるはずです。
親子トークタイム!子供に伝える方法
ワクチンの歴史は、病気に立ち向かってきた人々の努力の物語でもあります。むずかしい言葉が多いけれど、日常生活に関係があることとして伝えていくことで、子どもも興味を持ちやすくなります。
子供にこう話してみよう!
むかしむかし、天然痘っていうとてもこわい病気があったんだよ。イギリスのお医者さんが、牛の病気をヒントに「病気になる前に体を守る方法」を見つけたの。これがワクチンのはじまり。いまのワクチンはもっと進んでいて、ばい菌の一部だけを体に見せて、「これは悪いやつだから覚えておいてね」って体に教えてくれるんだ。だから、ワクチンは体の中の先生みたいなものなんだよ。
まとめ
・ワクチンの歴史は18世紀、ジェンナーの種痘から始まった
・19〜20世紀には多くの感染症に対するワクチンが開発された
・新型コロナをきっかけにmRNAワクチンという新技術が注目された
・日本では幕末に種痘が導入され、明治以降制度的に定着した
・ワクチンは人類が感染症と闘う中で生まれた知恵であり、今も進化を続けている