あなたが大切にしているものが、少しずつ壊れては修理され、やがて全部の部品が新しくなったとしたら――それは、もとの「それ」と同じと言えるでしょうか?
これは「テセウスの船」と呼ばれる、古代ギリシャから伝わる哲学的な思考実験です。
一見シンプルですが、アイデンティティ・存在・人間の心や科学技術の未来にまでつながる深い問いを含んでいます。
この記事では、「テセウスの船」のパラドックスをわかりやすく解説しながら、科学・哲学・SF作品との関係や、親子で考えるヒントまで紹介します。
テセウスの船とは?|パラドックスの基本と意味
「テセウスの船」とは、こんな問いかけです。
英雄テセウスの船が、長年の航海と修理の中で、朽ちた板を次々と新しいものに取り替えていったとしたら――
最終的にすべての部品が新しくなった船は、もとの“テセウスの船”と同じだと言えるのか?
つまり、「形は同じでも中身が全部変わったものは、同じものと言えるのか?」という問いです。
この思考実験は、「同一性(アイデンティティ)」の本質を問う哲学的パラドックスとして、何千年も語り継がれています。
現代科学とテセウスの船|脳・細胞・AIと「自己」の不思議
この問いは、現代の科学やテクノロジーとも深く関わっています。
私たちの体は毎日変わっている?
人間の体も、細胞が入れ替わることで何年かおきにほぼ“全とっかえ”されていると言われています。
でも、そんな中でも私たちは「昨日の自分」と「今日の自分」は同じ存在だと感じていますよね?
つまり、「全部入れ替わっても“自分”でいられる」という感覚は、テセウスの船そのものです。
脳や記憶が変わっても同じ人?
もし未来に、自分の脳をまるごと人工知能やロボットにコピーできるようになったら――
そのコピーは「あなた」なのでしょうか? それとも、まったく別の存在なのでしょうか?
これは「スワンプマン問題」やシミュレーション仮説にもつながる、哲学と科学が交わる深いテーマです。
パーツを再利用したら“元の船”がもう一つできたら?
さらにややこしいのは、「古いパーツを全部集めて、もう一度船を組み立てたらどうなるか?」というケース。
- パーツをすべて入れ替えた船
- 元のパーツで組み直した船
この2つのうち、どちらが「本当のテセウスの船」なのか? あるいは、どちらも違うのか?どちらも正しいのか?
ここに「パラドックス(矛盾)」が生まれます。
テセウスの船とSF・哲学|作品に登場する“同一性”の問い
この問いは、多くのSF作品やアニメ、映画の中でも描かれています。
- 『攻殻機動隊』:記憶や意識をデジタルにコピーした存在は本人なのか?
- 『ソードアート・オンライン』:仮想空間での自我は“現実”なのか?
- 『スター・トレック』の転送装置:物質を分解・再構築した人は同じ人?
そして、親殺しのパラドックスのような時間をめぐる思考実験とも共通して、「私たちはどこまで自分を“自分”だと呼べるのか?」という深い問いを共有しています。
親子トークタイム!子どもに伝える方法
子どもにこう話してみよう!
「もし、君のお気に入りのぬいぐるみが古くなって、耳を縫い直して、目もボタンに変えて、手もほつれて修理して…全部のパーツを入れ替えたら、それはまだ“あのぬいぐるみ”だと思う?」
この問いかけから始めると、子どもも自分の経験として「同じって何?」を考えやすくなります。
さらにこう続けてみましょう。
「じゃあ、元の部品を全部集めて、もう一体そっくりに作ったら、そっちは“本物”かな? それとも“コピー”?」
この会話は、**アイデンティティ(自分らしさ)**を考える入り口になります。
思考力、論理力、そして柔軟な想像力が自然と育ちます。
まとめ
「テセウスの船」は、一見単純な問いのようでいて、哲学・科学・人工知能・SF・そして私たちの「自分とは何か?」という核心に迫る思考実験です。
細胞や脳が変わっても自分は自分なのか?
同じ記憶、同じ形、同じ振る舞いでも「同一性」は保たれるのか?
このパラドックスを通じて、「変わること」と「変わらないこと」の本質を、親子で一緒に考えることができます。
自分という存在の不思議、モノと心のつながり、そして未来のAIやロボットの問題まで――
テセウスの船の問いは、私たちが今とこれからを生きるうえで、とても大切なヒントになるはずです。